このところ鳩山内閣の支持率が急速に落ちてきている。とうとう20%台になった。無党派層に見放されつつあるのか。鳩山政権の経緯をみる。
当初は順調な滑り出しをした。内閣人事の布陣も、もっと頼りないと思った民主党も「まあなかなかやるな」と思わせた。前原国土交通相の八ッ場ダム問題も埋没コストが大きすぎて、問題だと思ったが、前原発言で無駄ダム問題が表面化した点では大いに評価される。なぜ今まで問題視されなかったのかの方が問題である。問題を指摘している人も前々からいたが、マスコミが取り上げなかっただけなのである。
事業仕分けも、成果は出なかったが、予算問題を国民の前にさらけ出した点はなかなかよかったと思う。ただ無駄を見つけようという発想だけでは難しい。あきらかに無駄なものは既に止めている。無駄削減に成果報酬をだす仕組みとか、ゼロベース手法をつかうとか、無駄さがしの手法をあるのになぜ使わないのか。スーパーコンピュータ問題では、「なぜ一番にならなければいけないのか」という質問が出て有名になったが、これは民主党と当該議員の見識の問題である。いったい国は何のためにあるのかから考える必要がある。
今までの自民党政権が、弱者を切捨ててきた点は反省すべきであるが、福祉国家という名のもとのもたれあい社会として国があるのではないことも認識すべきだ。民主党は、この半年の動きを見る限りでは、「結局はばら撒き政党である」いう印象をぬぐえない。国家戦略は民主党では描けないのではないかという懸念が、支持率を下げている。
次に出てきたのが鳩山総理と小沢幹事長の政治資金問題である。やはり自民党と同じ体質かと思わせた。政治資金問題では、マスコミなどの問題もあっておおきく支持率を下げた。
支持率を下げるもっとも大きな要因は、もともと無理なことをマニフェストに掲げ過ぎたことである。財源問題などの根本問題をなおざりにしている民主党に、頼りなさを感じる。そのもっとも典型的な問題が、普天間基地問題である。この問題の矛盾点について考察する。
普天間基地は、当初はそうではなかったが時がたつにつれ、基地の周囲が住宅地となり、墜落などの事故があれば住宅地への危険が大きい。日本もアメリカも、この問題を何とかしたい。アメリカにとって、基地を無料しかも思いやり予算つきで使えるというのはこの上ないメリットである。米軍基地はそもそも小さな島では対応できない。最新鋭の大型戦闘機の数や海兵隊の生活などを考えると、ある程度の広さが必要である。また防衛上の理由からも、ある範囲圏に必要とされている。島の広さと他の基地との距離に制限があるのである。
日米の合意があった名護市への移転決定を保留し、日米関係がギクシャクしていきそうで懸念される。鳩山総理とオバマ大統領の間で信頼関係ができたといっているが、そもそも信頼関係とは「一日にしてならず」である。
あなたの町に基地が来ることが必要ですか聞けば、どの県民も市町村民もいやだという。その感情も、論理はわかっているはずであるのに、県外、国外を叫ぶ人がいる。理想としてはそうだが、現実性はどうなのか。ガンジー主義は理想ではある、しかしインドでなぜ主流になりえないのか。理想とされるマルクス主義、共産主義によって、なぜソ連も中国も経済的に行き詰まったのか。いずれも現実無視の理想論だからではないか。
理想論といえば、江戸時代の犬公方の綱吉の「生類憐れみの法」なども小生の目から見れば理想の政策であると思われる。太平洋戦争の最大責任者といわれる近衛文麿も、国体維持の理想論はあったと思われるが、陸軍への掛け金をはずしたことに当初は気づかなかったはずだ。現実の運用問題や組織力学の軽視が理想論の足をすくうのである。
沖縄の民の声を聞かねばならぬという論は正しい。国外、県外も理想ではあろう。しかし、スローガンだけでは、新たな移籍先の納得をえるのは無理といってよい。結局、金で解決するのか。10兆円程度のお金を積めば何とかなる。鳩山内閣は最初から袋小路に入ってしまったが、その袋をいつどう破るのか国民は注視している。無理だとなれば、5月決着を叫び続ける鳩山総理への信頼感は一気に薄れる。犬公方、ガンジー、近衛文麿の理想論は、スローガンとして叫ぶのはいいが、今求められているのは、それを実現するための現実的問題解決能力なのである。この問題については、そもそも日本の国土や民衆は誰が守るのか。その議論から必要だという論もあるが、それは次に譲る。
2010年4月
地域問題研究会 NAM記
東京の魅力のひとつは都市の変貌である。これについては先に六本木ヒルズの例で書いた。六本木ヒルズ以降、六本木地区には、東大生産技術研究所の跡地に国立新美術館ができ、防衛庁跡地に六本木ミッドタウンができた。ミッドタウンの中にはサントリー美術館ができ、森ビルの森美術館とあわせて、六本木地区での美術館トライアングルができた。いずれも企画展示を売り物にしている。美術館といえば、上野恩賜公園であったが、最近は六本木から目が離せない。
六本木の国立新美術館でルノアール展が開催された。日本人には、ミレー、マネ・モネ、ゴッホと、ルノアールは根強い人気がある。だいたい7年に一度くらいのペースで日本に来ている。それが毎回盛況なのである。地方の美術展では客が来なくて赤字経営のところもあると聞くのに、東京の美術館は、ウィークデイも人でいっぱいである。
見に来ていた女性に聞いてみた。「女性の裸体画がそんなによいのか」と。ルノアールはエロスの画家とも言われているが、彼女たちは、別になんとも思わないようである。明治のころ黒田清輝の裸体が騒がれたのを思い出し、隔世の感があると思った。そもそもエロスと性的なことは、似ているが微妙に違う。彼女たちはその辺はよく心得ている。もともと庶民は原始の時代からおおらかだったのであるが、官というか、お上が庶民統治上騒いでいただけなのかもしれない。
画家が美を求めて創作意欲を掻き立てられるとすれば、女体はその原点である。男性の裸体は気持ちが悪いだけなのか、それほど一般的ではない。コカコーラの瓶のフォルムも自動車の車体のカーブも、いずれも女体の曲線美が採用されている。
小生もルノアールの裸体画のフォルムを真似してノートに描いてみる。画家はさらにフォルムからフィギァにまで消化し表現する。小生は加山又造の研ぎ澄まされた曲線美に身震いする。しかし、ルノアールはフォルムのみならず、色彩やマティエールにもこだわった。女性の肌の表現を追求するのである。その執念がすごい。
絵の具の色彩について簡単に記す。小学生のころは影の部分は暗くなるので、絵の具に黒を混ぜた。印象派以降は絵の具に白や黒は混ぜない。色彩が濁り汚くなるからだ。点描画は色を混ぜないための技法である。
油絵は15世紀の画家ファン・エイク兄弟が発見した艶油(リンシード油とワルナット)のおかげで、生き生きした艶のある絵が実現したといわれる。その後ルノアールはさらに、若き女の肌をくすぶらせず、透明感とつややかさを表現すべく、工夫を重ねた。近代画の中で絵の具の透明性を高度に生かしきった画家として、ルノアールが上げられる。晩年のルノアールは単に物質を如実に表現するのみならず、色に響きや香りを与え、「色の悦び」を表現したといわれる。晩年の裸婦図は、裸体というより人間の血を画いたといわれるほど赤色ガランスをふんだんに駆使したようである。また、顔料や染料、溶き油、土台、塗り重ね法など工夫に工夫を重ねたといわれている。死ぬまで努力を惜しまぬ画家の執念を改めて感じさせる。
画家の奥深さを感じるには、画集ではなく本物を見なければならない。国立新美術館は入場料1500円であるが、国立西洋美術館は50周年記念で、常設展の拝観料は無料である。松方コレクションの中にルノアールが数点ある。その他の美術館にもルノアールを所有していることが多い。それほどルノアールは人気がある。
2010年4月
地域問題研究会主査 NAM記
若者や外国人が闊歩する現代の繁華街、変貌した六本木界隈を訪ねた。六本木は東京を代表する繁華街で、24時間都市である。ビジネスオフィス、店舗、ホテル、住宅、公園のある複合都市になった。新宿ほど猥雑ではなく、銀座ほど上品でもない。渋谷ほど若者の街ではなく、赤坂ほど大人の街ではない。丸の内は経済の都心、霞ヶ関は行政の都心、上野は文化の都心、六本木はビジネスと文化を兼ね備えた複合都市をめざした。
六本木にはミッドタウンや国立新美術館ができ、一時、ホリエモンなどのIT産業の花形が話題をさらった。今回は六本木の最初の発展のきっかけを作った六本木ヒルズを中心に散策した。
六本木ヒルズのできた六本木六丁目付近は、テレビ朝日と小さな飲食店・小売店・住宅が混在した雑多な町であった。旧長府毛利邸跡の池と林があった。大型の消防自動車が入れず、火災に弱い地区であった。木造密集地帯の再開発のモデル地区であった。そもそもは1986年に、テレ朝の田代喜久雄副社長が森ビルの森稔専務(当時)を「本社を立て替えるから相談に乗ってくれ」と訪ねたことから始まる。
1995年1月の阪神・淡路大震災の教訓から、災害に強い、超高層ビル化の構想があった。高層ビルは地震に強いことが阪神・淡路大震災で、見事に実証されたのである。災害を含め、高層ビル化、緑化など、都市環境の大幅改善が当初からの大きな狙いであった。
港区には外国の大使館など外国政府の出先機関が多く、外国人の居住者も多い。それにふさわしい街づくりを考えた。六本木ヒルズにある森タワーは、事務所棟が地上54階建てで、IT産業、外資系金融機関などの都市型産業が入居する。企業も外資系、海外との24時間交信が可能用に設計されている。天井高さ2.8m、配線のための二重床構造で情報化対応がしやすい。
六本木ヒルズは、上野・浅草の歓楽街とは異なり、銀座・丸ビルのビジネス街とも異なり、東京都心での職住近接を狙った。この街に「住み、働き、憩い、創造する人たち」を目指した。高層住宅棟は同じ設計で2棟建てた。1棟は地権者向け(170万円)、もう一棟は森ビルが340万円で買い上げる。地権者の400世帯と新規の550世帯が住む。
アークヒルズの開発では地権者の80%が売却・転出し、住民追い出し型開発といわれたが、六本木ヒルズでは、森ビルの森稔専務らの誠実な対応などもあり、地権者の80%が組合に残った。権利者500人にものぼる再開発であった。住民の賛同を得られれば、事業の9割は成功する。住民を説得するのに14年かかった。
六本木ヒルズの開発は、2000年2月、都が権利変換計画を認可、4月に着工し、「六六」計画がスタートした。多くの日本の市街区は、戦後の復興期に再開発のチャンスを逃し、群小木造密集市街地になってしまった。六本木も同様であったが、このヒルズ開発のときに永年の課題であった環状3号線と六本木通りの立体交差を成し遂げた。予測を超えた難問は電波障害で、東京タワー333m、高層ビル238mで数kmにわたる電波障害が起こり、その対策に約50億円近くかかったことである。
六本木ヒルズのシンボルは森タワーとその最上層の地上約230mの展望美術館・森アートミュージアムである。森タワーの住民、ビジネスマン、訪問者などの交流の象徴としてできた。キャッチフレーズは文化都市であった。2000年の開発着工当初から、ニューヨーク現代美術館(MOMA)との提携計画があった。森美術館はその企画力で、毎回30万人規模の観客を集めているという。
森専務の「住みたくなる住環境」という夢が実現したのである。都市再開発には、デベロッパーである森ビル、地権者である住民、東京都や港区の行政、国土交通省などの各関係者の努力が必要であった。東京・赤坂・六本木・虎ノ門、六本木ヒルズなどにある森ビルグループのオフィスビル群は光ファイバーケーブルを敷設して結ばれている。
実際に生活している人には大胆な再開発の絵はかけない。デベロッパーや開発コーディネーターの腕にゆだねられる。六本木ヒルズでは、森専務がその任を受けた。六本木ヒルズの開発には、多くの教訓があったのである。八ツ場ダム開発には有能なデベロッパーはいたのかが問われよう。地域開発には構想力のある有能なデベロッパーが必要なのである。
2010年4月
地域問題研究会主査 NAM記
●六本木散策コース例:
東京ミッドタウン・ヒノキ町公園→旧乃木邸→国立新美術館→六本木6→六本木ヒルズ→(鳥居坂下、総本家更科堀井、麻布十番商店街、浪花家総本店・豆源、善福寺、麻布十番)
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