アーカイブ: 6月 2009

2009/06/30

Permalink 15:56:18, 著者: NAM Email , 1 語, 195 回閲覧   Japanese (JP)
カテゴリ: 4.1 - Senior Consultant

福島県②:会津の歴史と文化と観光と

(会津の歴史と文化)
会津の地名の由来は、古事記、日本書紀の時代になる。蝦夷征伐の時に北陸側からと関東側から来て会津の地で両者が落ち合ったのである。会津地方は、冬には大量の雪に閉ざされるためか、神仏に対する信仰心が強い。神社では延喜式にも記載される会津三社、会津高田町の伊佐須美神社、会津若松市の養蚕国神社、猪苗代町の磐椅神社がある。また、平安時代には天台宗について最澄と渡り合った徳一大師によって仏教文化が花開いた。会津の寺は部落ごとにあり、そこに墓があったと思われほど信仰心が厚かった。会津野にこんもり茂る杉林は、村の鎮守か、お稲荷さんかお寺である。西会津では、中田観音、立ち木観音、鳥追い観音のころり三観音が有名である。湯川村の勝常寺の薬師如来、磐梯山の麓の恵日寺などの名刹がある。太平洋戦争中、奈良、京都、鎌倉、平泉と同様に、会津も空軍の空爆禁止地区に指定されたため戦災にあっていない。
会津の民俗・信仰などもその土地を理解する上で欠かせない。信仰と言えば、神を祀り、神に祈る。人間の肉体は朽ちるが、魂は神により、元気をもらう。言霊信仰、悪霊を払うなまはげ、やまはげ、あまはげなどや虫追いのわら人形信仰などが生まれた。また、愉しみも兼ねた民俗芸能・神楽・舞(獅子舞など)・踊り(空也念仏踊りなど)、歌舞伎などが発達した。庶民の願いは、民族、地方を問わず、①健康すなわち無病息災、②五穀豊穣、③商売繁盛などでこれは今でも変わらない。
(会津の観光産業)
世の中、景気が良くなってきたとはいえ、この会津の地などの地方には、まだ春は来ない。バブル期はよかった。今は旅館、民宿やお土産屋も廃業の憂き目にあっている。(出雲、熊野、田沢湖、などでも同じような悩みを聞いた。)よく観光立県を聴くが、日本は物価高で、若者の目は海外に向き、ヨン様ファンのおばさまは韓国に行く。会津は観光地としてよい。観光地の条件としては、①歴史・史跡があること、②風光明媚であることに加えて、③温泉があれば言うことなしである。会津には、熱海温泉、東山温泉などもあり、近くに風光明媚な裏磐梯や五色沼を控え、この3条件を満たす。
観光に一味加えたいのが食文化である。会津三大名物といえば、そば、田楽、棒たらである。身欠きにしんは会津と京都だけだという。山の中であるが、魚料理が名物とはこれいかに。京都の「はも」みたいなものである。福島県いわき市は、カツオ、サンマなど魚が豊富すぎて食文化が育たなかったという。会津には酒、味噌、漬物などの発酵技術があったから魚の加工に味を出したのである。
会津には、観光用の民芸産業がある。会津の産業は、室町、江戸時代には、蝋燭、会津塗、本郷焼、会津桐、鍛冶屋、酒造、鉱業などであったが、いまでは産業の主流ではなく、観光的民芸産業になっている。
会津地方には蔵が多い。特に、喜多方は蔵の町といわれる。武家には、武具や宝物、商家には商品が、農家には、農具や収穫物がしまわれていると思われる。米はもとより塩や味噌なども貯蔵される。蔵があることは、金持ちの証ではないか。ところで、喜多方市は5市町村が合併したが、蔵の街、蔵の街といって注目されるのは中心部のみであるという不満が旧市町村から出ている。観光コンシェルジュが必要なのである。観光産業の育成には、①ホスピタリティ、②コミュニケーション、③観光プロデュースの3本柱が必要であって、現在はそれをコンセプトに若い人を教育しているという。

2009年6月
地域問題研究会主査 NAM記

2009/06/29

Permalink 12:29:21, 著者: NAM Email , 1 語, 200 回閲覧   Japanese (JP)
カテゴリ: 4.1 - Senior Consultant

福島県①:会津武士道の里を訪ねて

 会津の武士道を尋ね、鶴ヶ城と武家屋敷を訪ねた。幸いまだ本格的梅雨ではなかった。会津には昔の面影が残る。会津には、郡山に見るような商業ビルや高いビルはない。殆ど3階建までである。街中を外れればまさに農村で、新潟、秋田に次ぐくらい青田が続く。
(会津武道精神)
 街を歩くと、道を行き交う女子学生が挨拶する。まんざら悪い気がしない。すこぶる礼儀正しい。見知らぬ人でも、目上の人を尊ぶ。これが会津の武士道のあらわれだ。会津には、徳川家光を支えた保科正之の「仁政」の精神があった。一方、「会津っぽ」といえば、「一途な忠義さではあるが、融通の利かない頑固さ」が思い浮かぶ。彼らは、筋が通っていても、現場が困っていても、「ルールだから出来ない」という。武士道とは、自らを律する心である。「勝てば官軍」の理不尽な功利主義的な思想は、会津の武士道にはなじまない。そういえば、渡辺恒三は会津出身であった。新潟の田中角栄とは、異なる実直な風格を見る。
 家老田中玄宰(はるなか)は、藩の財政改革を手がける一方、武士の子弟を教育する日新館をつくり、後に多くの優秀な人材を輩出した。日新館では、文武両道を教えていた。すなわち、弓、槍、刀、馬術、水練、兵学、と論語、大学、中庸、漢文、書道などである。また、日新館には、「什の掟」が掲げられている。(什=5-9才の子弟のグループ)
「年長者にはお辞儀をせねばなりませぬ」
「嘘を言うことはなりませぬ」
「卑怯な振る舞いをしてはなりませぬ」
「弱いものはいじめてはなりませぬ」
「ならぬことはならぬものです」
 会津では、先の戦争と言うと戊辰戦争を言う。軍需工場が殆どなかったので、空襲に遭わなかった。今は、見事に白虎隊を観光の主役にした。戊辰戦争は松平容保(かたもり)の京都守護職の就任に始まる。職務に忠実で、幕府を守り、薩長を弾圧し、倒幕勢力の恨みを一身に買ってしまった。容保自身は「幕府を助け、王室を尊ぶ藩祖(正之)の遺訓ナリ」と考えていた。薩長により、「官軍」に対峙し、会津に「賊軍」の汚名を着せ戦いを余儀なくされた。会津藩には、時代を見る目がなかったともいえるが、会津の「忠義」と薩長の「恨み」の成れの果てであった。そして今でも会津と薩摩には、恨みというかわだかまりが一部にあるようである。
 ちなみに武士道の思想に簡単に触れる。通常「武士の考え方」というと要するに武力で敵を征服することであり、信長や、秀吉のように人をだまし、奇襲を仕掛け、それこそ勝てば官軍のことを言う。その後、内政上はそれだけではダメで、武士たるものの心構えが説かれた。  
 武士道にはいくつかの流れがある。1つは葉隠れ武士道で、中世のころ、鍋島藩を中心に起きたものである。当時の武士道は、主人と部下の一心同体的意味合いが強かった。主人が死ねば、武士も死ぬ。この当時の思想が(葉隠れ)で、「武士道とは死ぬことと見つけたり」は有名である。この思想には仏教・特に禅の思想が根底にある。この思想は戦争中悪用され、特攻隊精神を生む。
 もう1つは、徳川武士道で、会津・水戸藩を中心とする忠義を基本とするものである。これは儒教・朱子学をベースにしている。武士は忠義に厚く、マナーを重んじ、礼節をわきまえる。やや支配者に都合の良い思想である。「君君たらずとも、臣臣たらざるべからず」の論理がある。この考え方は、今の官僚にも、社会保険庁にも、NHKにも息づいている。トップが悪くても、民は付いてこいの思想である。
 さらに、1900年になって、新渡戸稲造(キリスト教精神をベースに)が「武士道」の本を著し、日本精神のあり方を説き、武士道は美化されてきた。あまりにも、戦後は一貫して、高度成長をおいかけてきた中で、拝金主義、ルール主義の世の中になりすぎた嫌いがある。もう一度精神主義的な側面を見直すべきだとの声がある。筆者は新渡戸稲造主義を学びたい。
 近年、企業の品格や国家の品格(藤原氏)などが話題になった。金融資本主義や企業買収など品格のない企業やゲーム理論が幅を利かしてきた結果、金融危機を招いてしまった。会津の武士道を訪ねてみたくなったのは、文化の中心に品格の概念があるからであった。

2009年6月
地域問題研究会主査 NAM記

2009/06/01

Permalink 17:57:08, 著者: NAM Email , 4 語, 189 回閲覧   Japanese (JP)
カテゴリ: 4.1 - Senior Consultant

茨城県⑦ 文化・生活

 一般に県の文化というとき、以下のような視点で見る。①美術や音楽など芸術の分野、②地域に根付いた民俗芸能や伝統工芸、③自然景観や生活環境 である。ここでは自然景観や生活環境を中心に述べる。
 まず、自然景観を見てみよう。近年安倍内閣時代「美しい国日本」というスローガンが叫ばれ、日本の自然のよさや景観なども見直されてきた。また最近では観光知事宮崎県が有名になった。茨城県は平野が多く、田園の印象があるが、海もあり、川(利根川)もあり、湖(霞ヶ浦)もある。もちろん県北は山で、美しい自然に恵まれている。しかし、茨城県には.国立公園がなく、温泉も袋田温泉、太子温泉くらいで、きわめて少ない。国立公園が無いのは、千葉、愛知、滋賀、大阪、佐賀などである。
茨城県の主な観光資源としては、以下のようである。
 a.筑波山、御前山、奥久慈自然公園、袋田の滝、
 b.大洗海岸(キャンプ、海水浴)、五浦海岸(岡倉天心、横山大観)
 c.鹿島神宮、笠間稲荷(日本三大稲荷)、水戸偕楽園(三大庭園)、弘道館
 県の花は薔薇、県の木は梅。水戸の偕楽園や弘道館公園には約3000本、品種が多いのが特徴で、約500種類ある。
 横山大観、長塚節なども著名である。美術館も茨城県立美術館、笠間陶芸美術館、つくば美術館など主な美術館が4つもある。芸術面には比較的力を入れているようである。
 次に生活文化面を見る。
新聞・TV局:発展しなかった。読売地方版も慶弔記事とスポーツ欄で終始し、
     地域特性が浮かび上がってこない。
上下水道:霞ヶ浦があるが、全国最下位クラス、治水・利水を巡っては、県南・
     県北・山岳・河川・海岸地域でもめる。
医療施設:筑波大ができたが、医師が県内に残らなかったためか弱く、医師の数
     を、面積あたり・人口あたりで算出した医師密度数は最下位
社会福祉施設:東京都府中市の競馬競輪のような地方財政に貢献するものがなく
     県財政も潤っていない。また農業等自営業が多く必要性の認識も
     不足し、遅れている。
道路、鉄道:早くから、水戸街道、常磐線があったが、ローカルに終わる。
     道路舗装率が低い。歩道が少なく、交通事故も多い。
大学・高校進学率:全国最低クラスであった。役人になるなら学歴も必要だが、
     農業等自営業者に学問はいらない、という思想があった。
     しかし、近年は、県南の進学意識は著しく高く、土浦一高は、公立で
     東大合格率は全国1.2位を競う。
知識・文化人:医師、教師、弁護士、研究者が少なかった。
 
 中央政界と結びついた大型開発中心で、足元はおろそかにされてきた。平成14年頃、ようやく茨城県の文化振興ビジョン策定の動きが始まった。県南は、つくばエキスプレスも開通し、学園都市で少し様相が変わり、昔からの風習から脱却し、音楽祭などの活動も活発である。

2009年5月
地域問題研究会主査 NAM記

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