茨城県は農業県である。農地面積、農家戸数、農業生産額は、北海道を除きトップである。関東ローム層で肥沃な土地は畑作中心の農業に向いていた。農業を語る時に必ず必要なのが水収支である。すなわち降雨、流入水(河川)、地下水である。茨城県の降水量は愛媛県、香川県なみに少ない。主な水源は河川である。県北の久慈川、県央の那珂川、東茨城は涸沼川、県南は鬼怒川、小貝川、県西は利根川である。県は、川で考える。川沿いに平野が出来、水田が出来、人が住む。平将門が常総の地に権勢を振るったのもうなずける。
茨城県は中規模農家が多い。3ha以上の豪農は2000戸、5ha以上の農家は120戸程度で、多くないが、0.7ha以下の零細農家は逆に34%で、全国平均53%より少ない。新潟のような豪農はあまり聞かない。すなわち、貧しいとはいえ、飢饉がひどくなかったのと大地主による買占めがなかったと思われる。
中小規模農家であったので、戦後しばらくは歩行型の耕転機の農業で充分であったが、後に大規模農家を中心にトラクター農業に変わる。茨城県の農業は、動植物の南限、北限である。りんごもみかんも出来る。お茶も境のお茶がある。これも1つの特徴である。野菜など畑が主体であるが、全国1位、2位の生産品が多い。
メロンといえば、夕張メロンであるが、実は茨城県が全国一である。メロン研究も盛んである。栗は丹波栗が有名であるが、これも茨城県が一位である。レンコン、白菜も生産額日本一である。上位(2-3位)の品目は、ごぼう、ピーマン、レタス、ねぎ、トマトなどである。米は茨城コシヒカリで健闘している。江戸崎かぼちゃは、ほくほくしていてかつ甘い。価格は3-5倍するが、それでも品薄だという。地元の研究心のたまものである。関東経済産業局の地域資源に認定されている農産物も野菜を中心に50品目近くある。これだけの品目を有している県は少ない。まさに農業県である。
常磐線沿線の松戸、柏辺りが、住宅地化してきて近郊園芸農業が茨城にやってきた。しかし県南も宅地が増え、土地成金が増える。高度成長期以降、農業人口は急速に減ってはきているが、政治家や政治に関する考え方は、余り変わっていない。相変わらずの保守政党である。
中規模の自由業農家は、充分現状の生活に満足、公共事業投資、農業補助金の自民党支持一本で本決まりであったが、近年、生活優先の小沢民主党に揺らぎを見せた。また、隣と同じ思想を好み、一言で言えば、「自由業農家のお上思想」は根強いのである。
今後農業人口がさらに減り、1万haに10人/年の時代、20歳から33年働くとして、30ha/人の農地になれば、県経済や県民意識は大いに変わろう。新しい茨城県は、つくば市にその兆しが見える。次回につくば市を巡る県南の変化を捉える。
2008年9月
地域問題研究会主査 NAM記
今回は茨城の後進性に迫ってみたい。先に見てきたように茨城県の県内総生産は、京都をしのぐのに、なぜ後進的なのか。茨城はなぜ後進県とみなされているのか。遅れているか。その辺を考察する。
茨城が後進的なのは、その第一は、茨城弁である。「関東の東北」と呼ばれる一番の理由はそのことばである。今でこそ殆ど聞かれなくなったが、「ご飯を食べましたか」は、「飯食った?」というのである。「井戸」は「江戸」になるし、とにかくずーずー弁で聞き取りにくいのである。また、茨城弁には敬語がない。したがって茨城県民はお世辞が言えないのである。
第二に後進的な側面は、農業県であることである。豊かな県土に恵まれ、農業が強く、長く保守王国であった。いまでも保守が強い。幕末の天狗党、桜田門外の変の首班など、保守的であった。
第三に県民性である。県民気質の代表と目されているのが、「水戸っぽ」である。理屈っぽい、骨っぽい、怒りっぽい、の「3ぽい」である。
怒りっぽい:今でいう「切れやすい」
飽きっぽい:辛抱強さがない、
骨っぽい:武家の商法、「如才ない」の反対。
一言で言えば、無骨で粗野な関東武士の典型である。この根底に「水戸っぽ」気質をあげたのではないか。明治以降の事件などは以下のようなものである。
加波山事件;茨城の自由民権運動の走り、中途半端に終わる。
天狗等事件:講道館の天狗党(藩政改革派)と諸生党(保守門閥派)の争いで、明治維新の波に乗り切れなかった。
5.15事件、2.26事件にもかつての水戸藩浪士が絡む。
血盟団事件:井上準之助暗殺、
これらは、100―300石の下級武士のこと。「忠直の士」の仕業である。1つには、武士としての面子や規律と貧困(フラストレーション)。2つには、水戸教学が行動原理の頭でっかちがなせる業と思われる。
「旧幕200年間の旧い殻から未だ抜け切れず、わからず屋が多い。」とは、明治以降の初代知事(水戸藩知事)徳川昭武の言である。「先が読めず、頑固者である」と昭武氏自らも思っていたようである。ちなみにかつての警視庁の警察官の三分の一が茨城県人、茨城巡査である。水戸の士族の多くが警察官になった。
茨城県は、他県と異なり基本的には水戸藩に牛耳られていた。しかも思想面では、水戸教学が、制度面では、封建制度、身分制度の縛りがきつかった。「君君足らずとも、臣臣たるべし。」と家臣と住民を押さえつけてきた。そこに慣れ親しみ育てられた住民は、従順そのものであったが、時には切れて上記のような事件に走ったものと思われる。
しかし、お上に、「ハイハイの茨城県」は水戸を中心に残る。東海村の臨界事件が典型的にそれを示した。東海村村長のなげきもひとしおか、その後政府に都合悪いことは報道されなくなった。政治・行政がお上志向で、県民志向にならない。県庁の態度もお上志向がいけない。また、政治家に大物が出ない。土建屋ばかりである。
ちなみに、歴代県知事のうち岩上氏(昭和34-49)は中小農業従事者的発想、昭和50年以降の竹内氏は中央官僚出身で、土建屋発想であったといわれる。
茨城県の後進性の原因は、一に水戸藩、二に農業県であったことである。
2008年9月
地域問題研究会主査 NAM記
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